2009年くらいに神奈川の、ある道場に見学にいって即入会を決めたんですが、それ以前に私はなぜ柔術をはじめようとおもったか書いておきます。そこには友人のS君という存在があります。
S君と私の付き合いは古く2000年くらいに、とあるアルバイト先で出会いました。彼は結構変わった人間で、私は割と変わった人間と、うまくやれるタイプの人間なので、すぐに意気投合しました。
そんな彼に私はよく言っていたのが、「日本にいても何もいいことないよ。世界をみたほうがいい。」とちょっと留学経験のある私は、偉そうに彼に講釈を垂れていたのです。そうすると彼は、私に影響をうけたのか、あるとき数百万を貯めて、まずバリ島に彼女と行き、そこで資金の大半を使い果たして、さらにそのあとLAに行きました。
しかし、あるとき、その彼女が私に連絡してきて、彼は精神を患っており、もう手がつけられないので一人で帰国する。と言ってきました。私はあれこれ忙しいのもあり。あーそうなんだ。くらいに返したのですが。Sくんのその後は、謎のままでした。
あの頃、今みたいにスマホやフェイスブックなどない時代でしたから、私は彼に連絡を取れませんでした。ただ、伝え聞く話を繋げて、多分彼は、アメリカで一人でうまくやっているんだろう。と勝手に思っていました。
それから何年かが過ぎ、私はSくんと共通の友人に会うことがあり、Sくんは今どうしているんだろう?ってきいたら、帰国しているよ。と教えてもらいました。さらに連絡先も教えてもらい、私は2008年くらいに彼に再び彼に連絡を取ったのです。
彼は神奈川のボロアパートに一人暮らししていました。さらに精神障害により障害者年金みたいなのをもらってそれで生活していました。かなり状態はよくなく、彼をうちに呼んで久々に話をしたんですが。
やはり、精神的にいろいろと大変らしく、薬をたくさん飲んでいる。と言っていました。またすごく極貧の生活をしていました。
ただ、私が一番興味があったのは、彼がアメリカでどんな生活をしていたのか?という話で、聞くと、それはそれは壮絶で。というか不謹慎にもめちゃくちゃ面白くて、それをかいつまんで書くと、
彼はアメリカで資金を使い果たし、旅行ビザが切れたあとも不法滞在するんですが、ついにお金が尽きて、警察に保護されます。そこで彼は病院に入れられるんですが、そこで出会った日本人医師に色々助けられます。ある程度回復したところで彼は、チャイナタウンでアルバイトを見つけます。当然不法滞在です。そのアルバイトは餃子屋さんです。そこで奴隷のように働いていたのですが、住んでいた場所が、(なぜそこに住めるようになったのかは忘れましたが)チカーノ(いわゆるメキシコ系)の街で、そこでできた友人とつるんでいたら、銃撃戦にまきこまれて友人を目の前でなくしたり、いろいろ修羅場を経験します。そんな中、あるとき喧嘩したチカーノの腕っ節がすごく強く、S君も剣道を長いことやっていたし、割と腕に自身があったらしいのですが、彼に何度いどんでもボコボコにされて、いったいその強さの秘密はなんだ?ときいたら、俺はグレイシー柔術家だ。と言ったらしいのです。
そして彼は最寄りのグレイシー本部の門を叩いて何年かそこで柔術を学んだのです。
そして時間は飛んで2009年。私の家で彼とUFCをみていました。当時はBJペンとJSP、アンデウソンシウバ、RYOTOなどがチャンピオンの時代です。
私はプライドなどは好きでみていましたが、寝技に関しては、よくわからない。というのが本音でした。しかし一緒にテレビをみているSくんは、やたら技の解説をしてくるんです。「三角からオモプラータいった!」とかそういう風にみながら興奮しているわけです。
私は、派手にパウンドで勝利する試合しか興味がなかったのですが、彼の解説を聞いているうちに、気になって「なんでそんなに詳しいの?」と聞くと、前にグレイシー柔術をやってた。というのです。
それで興味がでて、ネットで最寄りの道場を検索して見学にいったのが私の柔術との出会いです。私は今でもSくんに感謝しています。多分彼は今はやっていないので、スパーしたらボコれると思いますが、彼が当時私が何もわかっていないのに、特にバカにするでもなく柔術のことを教えてくれたことを、すごく感謝しています。